【ネタバレ/映画:湯を沸かすほどの熱い愛】
余命を宣告された主人公。
話が進むにつれて病状も悪化し、弱っていきはするのですが、そこはあまりフィーチャーされません。
スパイスであってメインではないのです。
先立つことがわかってしまった主人公が、逃げた夫を家に戻し、弱気な娘に立ち向かっていく勇気を教え、新しく家族になった娘を受け入れ、家族を再生していく。
その様子を時にコミカルに、時に厳しく、時に優しく描いていきます。
→淡々と過ぎる日常の中で、のめり込めば深みにハマり出れなくなってしまいそうな出来事の連続。
stay storongの意味、そして、その境地へ辿り着く為に「向き合う勇気/真の想いやりとは?」を、日常生活とタイムラグなく、送る映像の連続に、自身の生活に普遍的になりつつある「幸せを掴み間違えた先で描いた、誤った生死感」を、良い意味で見直せる。
そして終盤には、家族の秘密が明らかになり、それがこの作品に込められた隠しテーマでもあります。
→血の繋がりよりも、感じられた「人類愛」
人は、何処まで進んでも、人である。
人の幸せとは「人生において、幸せ/満足してもらう為に、何が出来るか?」の追求である。
それは、優越感と違い、1人でも出来ない。
現在の歪みは、真の共存共生の原理に対して、盲目化させられていることにある。
真の共存共生の原理を知るには、より一層、マスメディアが仕掛ける「幸せ」の定義から逸脱すべきだと確信した。
本当に熱い愛が感じられた。
→愛=人生と向き合う原点=真の幸せ(≒共存共生の真の原理)
人に対して、愛を持って接するとは
「人生において、幸せ/満足してもらう為に、何が出来るか?」
この点、物的欲求を満たせば完結する話ではない。
「他者の満たされる心」を、意識した言動が重要となる。
※勘繰り/押し付けではない。それは、長期観点(=人生)から判断するべき。
→反面、時間は有限であるからこそ、通過点とも取れる目標は、持ち続けるべきである。
目標を持たない人生ほど、損失の多い無意味なタイムロスは無い