【〈真我〉のエネルギーとは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
◎〈真我〉とは…
実在/存在そのもの/エネルギーそのもの
→真我のエネルギーとは…
まさに愛、至福そのもの。
➡︎故に「自己を見る=愛を見る」こと。
【愛そのもので〈在る〉こと】
◉「好き」の延長が「愛」ではない。
「愛」の影が「好き」である為。
★真の意味において
・愛とは根本原因
・いかなる結果も、愛
→〈在る〉が全ての全てであるように
【愛もまた、全ての全て】
➡︎愛とは…
生命そのもの/〈在る〉そのもの
=それら全ては、一なる〈それ〉
故に、真理とは
【存在/意識(=気付き)/至福】である。
➡︎あなた自身のことであり、あなた自身の全て。
【〈私〉に意識を向けるとは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
◎通常の人生は…
「知覚可能な全ての対象」に意識を向ける
※外的/内的問わず、物質的/精神的なモノ全て
→全て〈私〉にエネルギーを与え続けている
◉「〈私〉はこう考える」というエネルギーが働くから。
→知覚可能な何かを認識/区別/分別/価値判断することは〈私〉がしていることであり〈私〉の活動である為。
★「〈私〉に意識が向けられなければ」
=世界の全現象に意識が向けられなければ
〈私〉は消滅する。
→意識というエネルギーが注がれず、存在出来ないから。
【赦し(ゆるし)とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=【犠牲どころか、自分は自由/完全そのもので在ると歓喜すること】
=【価値判断/分別/決定しないこと(世界を救う唯一の方法)】
➡︎【観念を強化せず、聖なる無視をして、ただ在る】
※聖なる無視…
愛/真実だけを見続け、選択し続けること。
ex.「目前に幽霊が出てきたら、ただ無視しなさい」
→無視をして、現実を見る。
無関心により、観念(ex.幽霊を見た)を解除する。
そうすることで、自身/幽霊共に解放される。
➡︎「どうすれば、思考活動は止まっていくのか?(どうすれば、世界から解放されるか?)」に対しても、上記と同様。
=ただ〈在る〉に意識を向け続け、思考を否定/受け入れもせず、ただ真実を見て〈私〉を解放する。
【結論:我慢する理由も存在しないところ】
【限界とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=束縛
◎何かを『価値判断/分別/決定』する事は、貴方に限界を作り出す。
◉貴方の勝手な『自己解釈/見方』で、その対象を裁く為。
➡︎それは、世界には唯一の〈私〉しか存在しないが故に…
【貴方が貴方自身を裁いた事になる】
=貴方自身の手によって、貴方自身が起こした原因の結果を受け取る事になる。
★世界は、ありのままに存在している。
その世界には、何の意味づけもされていない
➡︎故に【束縛なく、限界なく、自由である】
世界とは、貴方を映し出す鏡。
故に、貴方は自由を手にすることになる。
(但し、以下条件が揃えば…)
何も価値判断/分別/決定しなければ。
その時に、何も考えなければ。
浮かんできた考えが事実そのものではないと理解出来れば。
【思い通りとは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
◎対象を思い通りにしたいと思えば思うほど、益々思い通りにならなくなる。
◉自分で「思い通りにならない対象がある」と決めた為。
➡︎だから『思い通りにしたい』と考えた。
→自分が、そのように決めたから、対象は「思い通りにならない存在」として、役を演じなければならない。
=『その役以外になれない』為。
→故に、既に『思い通り』
★聖心(ハート)が輝いていない/歓びが無いならば、貴方自身を観るべき。
【結論:どんな観念(見方)を抱えているか?ただ、それだけを見直すべき。】
【完全とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=ただ「在る」こと
=知的理解/思考によって、完全に至ることは出来ない。
ex.「私は完全です」といった思考が出てきた時でさえ、完全ではなく、変化の一つ。
◎人は、完全を求める。
それは理想となり、理想はあらゆる抵抗/葛藤、即ち苦しみを生み出す。
◉理想とは、完全を知らない者たちの夢舞台であり、永遠に達成されることのない目標である為。
【幻想の中、完全を得られる事は絶対無い】
≒完全な幸福には、なれない。
★『完全を求めてはいけない』
『求めている完全を捨てなさい』
➡︎完全とは全てを放棄した時にだけ〈在る〉
◎(完全を求めるが故に)人は、支配者になりたい。
◉人は何もかも、自分の思い通りにしたい。
そして全てを、自分の分身に変えたい/自分がコントロールしたい為。
★自分の思い通りになることは、絶対にない。
ex.何処かの国王になったとしても、その国を完全/永遠/絶対に、自分の思い通りにする事は出来ない
【賢者とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
→初めから、求めず、ただ寛いでいる。
【何も得る必要が無い為】
→何かを得る為に、苦労/努力する必要など全くない。
得るとは、空気を掴む程、無意味。
=幸福とは、全く関係がない。
➡︎【理由:今、最高の幸福がある為】
-賢者語録-
【貴方と私は何も変わりがない。全く同じ】
・悟っても、別人/超人にはならない
・意図的に〈在る〉
ex.通常の人間でも
「青空に浮かぶ雲をぼんやり眺めている時」その無にくつろいでいる=無意識の〈在る〉
➡︎至福/幸福で満足する為に〈在る〉のでなく
【〈在る〉ことこそ、世界平和をもたらす】と知っている為=賢者は常に赦している。
※在る…自身/世界の全てを解放すること。
【反応とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
→誰かに何かを言われて、自分は何かを答えること(=思考ではない)
➡︎自分は「こう答えた!」と自身が選択し、決定していない。
ex.無数にある選択肢全てを把握した上で「これを考える」と決められたならば、自分の思い通り。
しかし「思考」として浮かんだ事柄しか、思考出来ない。
=思考が浮かぶ、その一瞬を目撃する事で、【自分が考えた】とは言えなくなる。
➡︎真実:全てが自動的に起きている
=「自分が考え、自分が行動している」とは信じられなくなる。
故に、賢者曰く
【起きることは、ただ起きるのだ】
【未知なるものに対しての認識とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
→(思考において)知ることは不可能
ex.「我々以上の何かが存在するのではないか」は、未知なる新しい創造的考えではない。
=我々以下と認識する、生物の存在を知っているから
「我々以上の生物が存在しているのでは?」と知ることになる。
➡︎【思考とは、その全てが過去】
故に(ex.我々以上の生物が存在)している場合、我々の延長線にあるものと考える。
=未知なるものは、想像すら出来ない。
【〈ME〉という想念は〈真我(I)〉が、心を通して現れた実在の影に過ぎないとは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=他者へ伝える為に用いた表現に過ぎない。
ex.「唯一無二」とは「絶対無=絶対有」
→対象がないから「私は…」が存在し得ない
ただ〈あなた〉がいるから〈私〉も必要
➡︎一切全ての全て〈私(I)〉ならば「私は…」という事に意味はない。
=【一切全ての全て〈私(I)〉】で在り続けなければ、その他は常に〈そのものの表現に過ぎない〉
ex.薔薇の花を見て
「あの薔薇は美しい」という言葉が
〈そのもの/そのものの美しさそのもの〉ではない。
=そこには、美の影があっても、美そのものはない。
【思考を生きるとは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=幻想/過去を生きること。
→失ったものを生きること。
※過去を生きるとは…
【神の御国(天国)は地上に広がっている。そして、人々はそれを見ない。天国(今ここ)に在りながら、天国を求めて地獄(過去)を歩くことほど、偉大なことはない】とも言える。
→つまり、苦行を耐えて勇者になろうとしている者に過ぎない。
【未知を知りたいならば〈在る〉に留まれ】
=これが、唯一の幸福。
【思考との関係性で認知すべきこと】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
【思考と自己同一化することが、問題。
思考自体は、悪いものではない。】
=思考とは『人が生活する為に必要不可欠/世界が物質的進化可能』とする。
➡︎思考は〈本当の私〉ではない。と知ること
→思考を「自分/自分のもの/自分の機能」と考えている。
=思考は〈本当の私/本当の私のもの〉ではない。
ex.「思考よ、止まれ」と命令しても、思考していた。
→もし、自己=思考ならば、自由に扱える。
★結論:【本当の私=I=真我(在る)/神の子=思考は幻想だが、存在そのものは実在。
私=ME=自我(エゴ)=実態なき思考/想念】
※ME…
「私は〜」と言う時に使用される「私」
分離している存在があるという観念
【考え方とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
ex.誰かと会話し、その考え方が良いと感じた場合。
→その考え方を学び、同様に違う誰かへ説明することは出来る。
しかし…貴方が、その『誰か』と全く同様の「考え方」をするのは、不可能。
=憧れの人のように成りたい!と思っても、全く同じ人間にはなれない。
◎何かに対して、特定の考え方をする。
→しかし「浮かんだ考え/言った言葉」だけしか、分からない。
【起きたことだけしか知ることが出来ない】
=何故、そんな考え?何故、それを言った?等、知ることは出来ない。
◉「なぜ自分はこんな考え方をするのか?」と自身に問うても、決して答えを得られない
→そのプログラムは、貴方の範疇にない為。
ex.嫌いと感じるものを(その時の貴方)が『好き』にすることなど、不可能。
例:アスパラの味が嫌い=「アスパラ嫌い!」
しかし『何故、その味が嫌い』なのか?は、分からない。
※プログラムの設定、故に。
★思考も記憶も、やってくる事しか知ることが出来ない。
ex.『美味しい!』と感じた時。
ただ、それだけしか知ることが出来ない。
変更後、変更された過去は思い出せない。
その時「昔このような考え方をしていたが、今はこう考える」と言うことが出来る。
【結論】思い出せる事/思い出せない事がある
知る必要のあることは知ることが出来る。
知る必要のないことは知ることが出来ない。
➡︎これらは全て、プログラム。
貴方の手にはない。
ただ、やってきた事だけを毎瞬生きるだけ。
→上映される映画を観る事しか出来ない感覚
【通過してきたように見える、過去の記憶でさえ、思い出せないものは、もう知ることが出来ない(=やってこないもの)】
【書かれた台詞を変更する方法とは?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
◎(ブークは完成後でさえ変更可能、故に)
未知なる存在の作者により、過去を書き換えられる。
【=貴方によって、変化させられない】
※思考/記憶も自分の手に持っていない為。
ex.(過去、踊ったにも関わらず)
書き換えられると『踊っていない』と言う過去を生きる。
→その時、踊った過去など想像も出来ない。
◉(思考と同様に)記憶も、何処からかやってくるもの。
やってきた記憶しか思い出せない為。
→この幻想世界は変化そのものであるが故に、あらゆるものが変化出来る為。
目に見えるものは、壊して変化出来る。
目に見えないもの(思考/記憶etc..)も、変化させられる。
➡︎幻想世界の全てが変化そのものの為。
★【思考とは、過去の記憶】
=記憶と思考は、なんら相違ない。