【日常とは?】
引用元:“それ”は在る
著者/ヘルメス・J・シャンブ
=『出番』
→根深い観念は、無意識に隠れたまま『出番』を待ち続けている。
ex.急に棒で殴られた時。
「自分に痛みがあった」
「自分は叩かれた」
「この叩いた人は一体何をするのか?」etc..
即、古い観念が現れ、それを元に言動が現れる。
=無意識層では「私は身体である」と完全にプログラムされている。
➡︎日常生活では
【自分自身にどのような観念があるのか?】
【何を真実だと思い続けているのか?】という観念を認め、手放す(=聖なる無関心)
→これを忘れず、瞑想と日常は
『共に必要であり、両者は1つ』となるべき
=【常に〈在る〉】でいるということ。
その後、実際に観念や信念を解放するのは、貴方ではないし、何も出来ない。
なぜなら
【思考も観念も貴方のものではないから】