【在る/まとめ】
引用元:“それ”は在る
著者/ヘルメス・J・シャンブ
【結論:私が私を自覚することが、救い】
テーマ:「真我」と「自我」の共存。
→理解は、知的理解に過ぎない。
〈在る〉実体験にて
「透明スペース/無/空/絶対存在そのもの」に触れたこと。
=〈真我〉の皮膚に触れた。
※知的理解が無ければ「無」に等しい。
➡︎〈私〉を通過する事でしか得られない、旅の終焉にある『〈真我〉の歓び』があるのでは?
※〈真我〉の歓び…存在そのもの/その素晴らしさを忘れ、再び、その偉大さに気付き、自覚した時に得る。
→偉大さ(真我)の中にあって、偉大さを知ることは出来ない。
【上記のように考えると、この世界は奇跡】
→この世界(幻想)は、苦しむ為ではない。
全ては、我々の成長/進化の為。
➡︎この世界を苦しみと感じるのは
『スタート地点/通過点』である。
※苦しみとは〈私〉の考えに過ぎない為。
・〈在る〉とは?
思考/観念/概念/感情/精神/人格/身体/世界etc..
➡︎これら全て、本当の私ではない。
それでいて、その全てが私。
【その全てが、私の表現】
ex.目前にグラス。
私の中に、何一つ観念/言葉etc..存在しないならば〈これ〉は何か?
→私には分からず、ただ〈これ〉が存在する
➡︎しかし〈これ=グラス〉と意味付ければ『グラス』となる。
【それ(意味付け)は、過去】
→過去の知識にしか、過ぎない。故に
【過去の言葉/観念/知識を見て生きてきた】
→過去を見る時、分離が起きる。
ex.『グラス』と〈私〉が生まれる。
➡︎「ある時/ない時」「得る時/失う時」が生じる。
ex.『グラス』が割れてしまった時〈私=グラス〉と依存している程〈私〉を失ったかのように、悲しむ。
しかし…
【〈これ〉と共に〈今ここ〉に〈在る〉時】
➡︎〈今ここ〉しか存在せず、意味もない。
分離など、存在しない。
・〈今ここ〉とは?
→何も存在せず、ただ存在そのものだけ存在
【〈永遠〉そのもの】
=苦しみ/悲しみは無く、存在の素晴らしさを知る。
・このグラスが形を失い、変化した場合。
◎ただ形を変化させていくだけ。
この存在そのものが、真に消滅しない。
◉存在する物は全て存在する物「そのもの」
→何一つ、欠けることも増えることもない為
=色や形は、来て去る。
存在そのものは、去りません。
それは、常に完全に〈今ここ〉に存在。
〈今ここ〉が存在そのもの。
ex.「森」と名付けられた〈あれ〉を「森」という言葉で知ることは、出来ない。
〈あれ〉が何であるか分からないが〈あれ〉は存在している。
知的判断せず、且つ「真実ではない」観念を持たない。
〈あれ〉は、常に変化/私の外側に見える。
しかし〈あれ〉と〈私〉は分離しておらず…
【〈あれ〉=〈私〉】
つまりは…〈在る〉が、方法なき方法。
=ただ全てが〈私〉その全ての私を〈私〉が見ている。
【全ての観念を放棄する事=赦し/〈在る〉】
ex.思考が問題を作る/嫌な感情が沸くetc..
それらに何も判断せず、意味も付与しない。
→価値判断/分別=それが実在すると認める為
※幻想ではないと認めることになる。
しかし、、
【我慢して堪える事ではない】
➡︎寧ろ我慢して堪え、自分の中に抑圧してきた全てのものを解放する(全てを『赦す』)
=拒否/否定せず、無理に受け入れようと努力しているならば、それに対する観念がある。
(まとめ)
【〈在る〉とは、全ての言葉でありながら、全ての言葉を放棄したもの】