【何故、教えを求めるのか?】
引用元:“それ”は在る 著者/ヘルメス・J・シャンブ
=答えが欲しい。
※教えを学びたいとは、思っていない。
→教えを聴いているうちに、学ぼうという気になってくるだけ。
➡︎答えだけを探しているうちは、その者は答えを見つけ出すことが決して出来ない。
【学ぼうとしていないから】
ex.小学生に、算数を教える。
→「早く教えて!」と言われるが、教えて欲しいのは「答え」
→『解き方』を教えるが、学ぶ真剣さが無ければ、算数を覚えることが出来ない。
且つ「ちゃんと教えて!」と言う。
=真理を求める者も同様。
『苦しみから解放されて、自由になりたい。早く幸せになりたい→早く答えが欲しい』
【結論:答えを求めることが、問題】
➡︎それにより、更に求めることを強化。
何故なら、理解できない為。
学ぼうとして、理解出来ないのではない。
ただ救いがやってくるのを待ち続けている。
※『誰かが、いつか私を救ってくれる』という観念がある為。
【結論:貴方自身しか、貴方を救えない】
※知識とは?
→教えは知識に過ぎず、知識は言葉に過ぎず
=真実そのものではない。
➡︎この「知識」という道具を使うか否かは、知識を得た貴方次第である。